僕もこれまでいろんな人達に出会ってきたが、稀に「人のマネ」を異常に嫌う人がいる。
私生活レベルではどうでもいいが、これが仕事となると非常に厄介な存在になる。
よく考えてみると、僕らの思想や行動学というのは「先人のマネ」でしかない。
思想については自分で何かしら考えたつもりでも、結局は先人が残してくれている思想の中で自分にとって「心地よい」思想を自分が選ぶものとしたがる。
自分で考えたつもりでも結局は誰かが考えたことを受け入れているだけだ。
行動についても、理論的なものについては優れた先人が既に考えてくれていて、優れた結果を出しているのであれば、自分の技術を上げていくのはそういった先人が残してくれたものを猿真似していくというのが一番の近道だ。
だが、これを異常に嫌う人がいる。
何かを自分で生み出せると思って、何かしらの行動を採るのだが、これがまたろくな結果しか出ないし、まともな結果を出したのを現実社会では見たことがない。
もちろん、過去には「これは今までになかった」というものを生み出した偉人たちは存在する。
が、そういった人達は世に名を残すような過去の偉人達という一握りの存在であって、僕を含め一般大衆が何かしら新しいものを生み出すというのは予知性が低すぎる。
特に基礎も経験もない人がポッと考えて何かしら有益なことを生み出せるなんて蓋然性はゼロに近いだろう。
こういったこともあり、僕は自分の子供にも、そして職場の後輩たちにも、「自分で考えるな」と口酸っぱく言っている。
世の中では「それくらい自分で考えろ!」と言われることの方が多いのだろうが、これは逆だろう。
だって、自分より優秀な先人というのはいくらでもいるのだし、そういった人に考えてもらって、それをマネすれば(といってもマネにも努力が必要だが)同じように優れた結果を出せる蓋然性は上昇すると期待できる。
さらには、例えば仕事であれば上司に相談して上司に考えてもらうというのは、その責任を自分ではなく上司が取ってくれるということでもある。
僕は職場では後輩たちには「何でも僕に報告して、何でも指示を仰いで、自分で責任を取らずに済むように何でも責任は僕に擦り付けろ!」と言っている。
それが上司たる者の役割でもあるし、職場にとっても事前の危機回避策のひとつでもある。
が、やはりそれがどうしてもできない人もいる。
良い結果を出している先人の言う通りにせず、自分で考えて、何かしら優れた結果を出せると思い上がっているのである。
ある程度経験を積んでいてそれなりの知識があって、期待値が高い人であればまだ許せるが、知識も経験もないのに何故自分が優れた結果を出せると思い上がることができるのだろう?
そのままで優れた結果を出せる日なんて永遠に来ないのに。
ということで、あえて繰り返したい。
自分で考えるな、まずは優れた人のマネをしろ、である。
何故そうしないといけないのか理解できなくても、自分が考えたやり方で結果を出せないより、人のマネをして良い結果を出したほうが遥かにマシだし、それを積み重ねることで技量も伴ってきて、その先でやっと理解できるということもいくらでもあるのだから。
自分で何かしら考えようとするのはそのレベルに達した後の話だろう。
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